100人いれば100通りの生き方がある

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当サイトは、幸せな人生を送るにはどうしたら良いか、という研究をテーマにしているが、これはあくまでも私の考え方や今までの経験に依存する部分が大きいものです。

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以前、幸せの姿は人それぞれだが、不幸の姿は似ているという記事を書きましたが、幸せの姿同様に各々の生き方についても、生き方は人それぞれです。

幸せの姿は人それぞれだが、不幸の姿は似ている

幸せの姿というのは、千差万別で人それぞれ。
お金持ちでも孤独であれば、幸せを感じられない人もいるかもしれないし、逆に、お金持ちでなくても愛情に包まれた家族に、幸せを感じる人も居るかもしれない。
ビジネスや仕事での成功に幸せを感じる人もいれば、田舎暮らしのスローライフに幸せを感じる人もいるでしょう。
贅沢品を持つことに幸せを感じる人もいれば、それに何も感じない人もいる。

100人いれば、100通りの生き方が必ず存在するものですから、当サイトをお読みになるときは、こういう生き方もあるんだな・・・と参考になさった上で、気に入った部分だけ取り入れるようにして欲しいと思います。
私は、私の生き方や私の考える幸せの姿などを、他の人に押し付ける気はまったくありません。

ただ、「こういう生き方もありますよ」、「私はこの生き方で幸せですよ」という提案をしていくというスタイルです。
他人の生き方のすべてを真似するのはそもそも不可能なことであるし、そんなことをしても幸せな人生にはつながらない。
しかし、たとえば手帳の使い方だけ参考にするとか、部分的に取り入れて頂けるのであれば、それは全然構わないし、むしろ嬉しいことです。

不倒城: 「生き方の一般化」が無理過ぎる話

思考遊びとして「生き方」議論をするのは面白い。けれど、「生き方」は否定出来ない。そして「生き方」は押し付けられない。
「誰かにとって」の正解は、「あなたにとって」の正解じゃない。

・・・

勿論、「人は人」という前提の上で、人の生き方のいいとこ取りをすることは悪いことではない、とも思うのだが。

生き方の議論は、特に若い世代では活発に行われる。
20代と50代では、将来の不確定要素の量が明らかに違うからです。

50代ともなれば、残りの人生の姿をある程度見通せるでしょう。
生き方が半ば確定してしまう中年以降(50代以上あたり?)では、悩むべき要素の量も減り議論も行われなくなっていく。

しかし20代では、将来の仕事も、結婚も、子供も、お金も、健康も、老後の生活も、人生を形作る色んな要素が、極めて見通しにくい。
故に、若い世代ほど生き方に悩み苦しみ、議論するのだろうと思います。

ただ議論をしたり、人にアドバイスを求めるときには、”不倒城: 「生き方の一般化」が無理過ぎる話”にあるように・・・

「誰かにとって」の正解は、「あなたにとって」の正解じゃない。
なので、「人は人」という前提の上で、人の生き方のいいとこ取りをする。

というスタンスを守ったほうが良いのは間違いない。
全部取り入れようとしたり、全否定したりせずに、中立の立場で意見を聞き、いいとこ取りする。
そのほうが、自分なりの生き方を形作っていくこととなり、幸せにも一歩一歩近づいていくものだと思います。

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