お金に対する姿勢は人それぞれ

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先日、友人らと食事をしていたときのお金に関する話題。
ある友人は、洋服だ、DVDだ、コンサートだ、と毎月の給料をほぼ全部使い果たして、貯金や資産運用はゼロだと言っていました。
もう一人の友人は、毎月の給料から、まずは一定の額を貯金用口座にコツコツと貯金していく、というスタイル。

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私の場合はと言うと、自営業ということもありますが、貯金のほかに株式、各種共済(小規模企業共済など)、生命保険(逓増定期・養老など)、外貨預金などにお金を回しています。
自営業ゆえに、その立場を最大限活かして、自分でリスクヘッジする必要があるのですね。

例えば宝くじで三億円当たれば、それで幸せな選択肢を選べるのか – シロクマの屑籠(汎適所属)

世の中には多分、金銭を手に入れればそれでどうにかなる人と、金銭以外の体験なり蓄積なりのほうが必要な人があるのだろう。

あればあったぶんだけお金を使うという習慣の人が、宝くじで三億円を手に入れたらどうなるのだろうか。
全部を一気にポンポコ使ってしまう人は稀だと思いますが、少なからず大きくドカンと使ってしまう(浪費してしまう)人も多いのではないだろうか、とふと思いました。

毎月給料を使い切る友人の理屈は・・・
「明日死ぬかもしれないし、いつ死ぬか分からないんだから、お金を貯金しても仕方ないでしょう?」
とのこと。

たしかに、その通り。
でも、裏を返せば、「80歳まで生きる可能性のほうが高いし、もしかすると100歳まで生きるかもしれないよ。」、と口にはしませんでしたが、私は心の中で考えていました。

幸せの姿は人それぞれだが、不幸の姿は似ているの記事で書きましたが、私は人生において「不幸を防ぐ、特にお金で防げる不幸はお金で防ぐようにする。」ということを、とても大きな課題としています。
この時、ベースとなっている考えは確率統計に基づくものであり、ゆえに自分が80年生きる可能性がもっとも確率が高い、ということを自分の行動のための基礎としています。

だから、私は人生を80年と設定しており、持っているお金を全部使ってしまうなど、ちょっと恐ろしくて自分にはできません。
締めすぎもきついですから、ある程度の出費は、人生を楽しむためにも必要だとは考えていますけど。

人の生き方は自由ではあるけれども、お金に対する姿勢として各人が持っているリソースは、大きく異なるものであるなぁ、と実感しました。

異なった種類のリソースなり、異なった種類の援助なりを伴わなければ、幾ら金銭を注ぎ込んでも満ちないバケツというものもあるだろう。

例えば宝くじで三億円当たれば、それで幸せな選択肢を選べるのか – シロクマの屑籠(汎適所属)で、上記のようなことが書いてある。

これは、私もその通りだと思う。
たとえば、経済的援助・金銭支援などを考える場合、金銭という定量化できるそのものを与えるだけが、必ずしも効率的ではないように思う。
これは、個人レベルの支援だけでなく、国家レベルのODAとかについても同じでしょう。

浪費やギャンブルが原因で経済苦に陥っている人に、ただ単に金銭支援を行っても同じループで問題の解決にはつながらないに違いない。
技術や上手な資金運用の術を持たない国家に、ODAで多額の金銭支援を行っても、国家発展(国民生活の発展)には結びつかないだろう。

与えるべきリソースは、その対象によって金銭がベストの場合もあれば、指導やノウハウのほうがベターである場合もあるのだろうと思います。

ただし個人の場合について言うと、お金に対する姿勢や習慣というのは、長年積み重ねられてきたものである場合が多く、かなり根強いものがありますので、なかなかそれを変化させるのは難しいです。
そもそも、個人に関して言えばお金の使い方は自由であるので、おせっかいに過ぎないかもしれません。
が、給料を使い切る友人に対しては、やっぱり人生の後半で後々後悔して欲しくはないなぁ・・・という思いはありますね。

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