相対評価では幸せは得られない

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だいぶ以前(3年ほど前)に、人が幸せになるためにはどうしたら良いのかという命題について考えていた時に、相対評価をやめて絶対評価を取り入れる、ということが重要なのではないかと気付きました。

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努力しても決して幸せになれない理由

しかし、それでもなお、努力して競争し、生活水準をあげ、最後には富を得ても、やっぱり幸せには必ずしもなれないのは、どうやら、このせいのようだ。つまり、喜びは永続せず、新たな水準が普通になってしまうのだ・・・・。

つまり、幸福が相対化してしまっている。誰かと比べることによって、幸福の大きな部分が規定されてしまうのだ。勝ち組、負け組なんて表現はその典型で、誰かと比べることによって、その人が幸せかどうかが決まってしまう。

たしかに、自分の周囲の環境に比べて、自分の生活インフラが著しく低いものだとしたら、幸福を感じることは難しいかもしれない。
自動車がなかったり、インターネットや携帯電話が使えなかったら、実際に不便です。

ただ、ある一定以上の生活水準をクリアできたら、それから先は、相対評価を捨てて絶対評価を自分に取り入れなければ、幸福を長く感じることはできないでしょう。
周囲との比較を続ける相対評価である限り、上を見ればきりがないからです。

私が、物質的な豊かさを満たすだけでは幸せにはなれないと考えるのは、この相対評価による幸福度の測定が、原因の一つとして関わってるような気がします。

参考:足るを知る

物質的な豊かさであったり、幸福度の相対評価は、目に見えるのものなので分かりやすい。
分かりやすいがために、すぐにそれに頼ろうとしてしまうのかもしれませんが、おそらくそれを追い求め続ける限り、幸せは永続しない。

どこかで、絶対評価に変えないと。

例えば・・・
・桜が咲いていたら、美しいなと感じる。
・かけがえのない家族の愛情に囲まれる。
・子供の成長に喜びを感じる。
・自分のスキルが向上することを嬉しいと思う。

など、周囲との比較(相対評価)ではないやり方で、幸せを感じることができたら、その幸福感は長続きするのではないだろうか。
少なくとも、幸せになるには、そこにヒントがあることは間違いないと思います。

ただし、他人との相対評価のみでしか幸せを感じられない人もいるでしょう。
幸福感をなにに感じるかというのは人それぞれなので、それは仕方がない。(参考:幸せの姿は人それぞれだが、不幸の姿は似ている
私の主張は、あくまでも幸福度を測定するには、絶対評価という方法もあるのではないか、という提案です。
いい考えだなぁと思って頂けたら、取り入れても良いですし、嫌ならもちろん強制しません。

実際、一定の生活水準を得るためには、努力が必要です。
その部分で、周囲との相対評価をモチベーションに頑張ることも必要だろう。
そこはクリアしなければならないので、「努力しなければ決して幸せになることはない」、とも私は思う。

ただ、一定水準をクリアしたら、”絶対評価”が幸せな人生を送るためのヒントとなる気がします。

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