手帳は弱い者の味方

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手帳というのは、間違いなく弱い者の味方です。
たとえば、夢や目標はあるが、自己管理が上手くできず、怠け癖があって自分を律することができない人。
日々のスケジュールややるべきことのタスク管理が、頭の中だけでは整理できない人。
また他には、実現したいことはアレコレあるけど能力が足りなかったり、長期のビジョンを明確に持てない場合など。
(全部私に当てはまることです。)

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だから、これらのことを何のツールにも頼らずにできる”強い人”であれば、手帳を使っても効果はまったくないです。
手帳を使わずとも、すでに人生が上手く運び幸せを感じている人なら、別に新しい方法を取り入れる必要もありません。

もう一つは、手帳を使ったとしても、必ずしも万人に効果があるわけではないということ。
別に手帳術に限らず、万人に有効なメソッドなんて、この世には存在しません。
特定のメソッドで、効果がある人もいれば、ない人もいる。
自分に合っているか合わないかとか、取り組み方の本気度とか、人により千差万別だからです。

「手帳系」人生論へのひそかな違和感

先ず、「手帳系」の有効性を語る話者が、メソッドの有効性を「事後的に」語っているのではないか、という胡散臭さだ。

メソッドの有効性なんてものは、別に手帳術に限らずどんなものであれ、事後的にしか計測できません。
だって、有効性という言葉自体、効果があるかどうかっていう意味ですから。
効果ってのは、試した後に現れます。

そして効果が見られた人でも、特に手帳術なんてものは、その効果とメソッドの相関関係を科学的に定量化することは難しいだろうし(多人数での統計は取れそうだが)、人生は一人一つなのでそのメソッドを用いなかった場合と比較することもできない。

唯一の計測点は、あるメソッドを取り入れた人の、取り入れる前と取り入れた後(数日後〜数年後)の状態を比べることだろう。
たとえば、その計測の対象は、その人の経済状況の変化であったり、持ち株の評価額であったり、体重の変化であったり、幸福度の変化であったり、かもしれません。
私の場合は、経済状況や幸福度の変化という意味では、事前事後を比べてみると、手帳術の活用は効果があったと言えます。

ダイエットマシンで痩せれるかどうかは、そのダイエットマシンを試さないと分からない。
痩せる人もいれば、痩せない人もいる。
経済アナリストが推奨する株式投資方法や推奨銘柄なんてのも、試してみて事後的にしか分からないものです。
最初から成功が保証されたメソッドがあるならば、みんなスマートで、みんな大金持ちのはずです。

もちろん、手帳に目標を書くことで、本当に全てのことが叶うなんてことは、確率的には相当半端ではなく低いことは、手帳を用いている本人も十分承知しています。
だから、自分の才能と適性を探った上で、100%無理だと思える夢や目標は、はなから書きません。
たとえば、私の場合、プロ野球の選手になろうとか、ノーベル物理学賞を取ろうとか・・・そんな夢や目標を手帳に書くことは現在も未来にもありえません。

なんというか、自分なりに人生のスケールを大きく長期で考えるために、できうる限り思考を極端な方向に持っていくために用いるのですね、手帳に大きな夢や目標を書くことで。

ついでに、手帳を用いることで、人生が硬直化したり余裕がなくなったりってのもありえません。
むしろ、私の場合は、家族の誕生日などのイベントを楽しむための余裕が生まれるようになりました。
手帳に書いてなかった以前は、忘れて過ぎ去ることも多かったです。

短期のものも長期のものも、夢・目標や計画は書き換えるものですし、現状と乖離しすぎないように修正も行います。

私の場合、基本的に土日は仕事の予定を入れないので、遊びに行くことも多いです。
仕事が残ってても、急に遊びに誘われて、出かけることもしょっちゅうだ。
ただ、そんなときは後になって頑張らなければ、遅れを取り戻さなければ・・・と、手帳が戒めてくれる感じです。

手帳を使っている皆さんはどうですか?

以上、山崎元さんの”「手帳系」人生論へのひそかな違和感”という記事に対して、違和感を感じながら書いたエントリーでした。
強い人には、手帳は無用の長物でしょう。

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