人は人、自分は自分

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「人は人、自分は自分」というのは、私が子どもの頃に母親から口すっぱく言われていたことです。「同級生の○○君がファミコン持ってるから、うちも買ってよ」など母親におねだりをすると、よくこの言葉を言われていました。

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家計の節約のためか、人と比較したり人の目を気にしすぎることの愚かさを思ってのことか、どちらであるかは定かではありません。母親の場合、多分前者だったと思いますけど(笑)。学校の成績に関しては、鬼のように同級生と比較されていましたからね。

人と比較したり人の目を気にしすぎることの愚かさを諭すためであれば、子育ての方針として、将来私に子どもができた時にはぜひ取り入れたいと考えています。

他人と自分を比較しすぎたり、他人から自分がどう見られているかを気にしすぎると、周囲への同調を優先して自分の主張ができなかったり、行動する際の身動きが取れにくくなったりします。

嫌われているのではないか?という妄想 〜心の交差点〜

かつてのボクは、「人に嫌われること」を異常に恐れていました。
「どこに行っても、自分という人間は、受け入れられるに値しない」と感じていたものですから、嫌われるのが怖くなって当然といえば当然なんですが、とにかく嫌われるのが怖くて怖くて、常に人前でビクビクしていたことを思い出します。

自分に非がないのであれば、絶対に周囲の目なんて気にする必要はないと思う。
自分が好きなことを見つけ没頭できるのであれば、嫌われることや周囲の目なんて、二の次三の次ってことに自然となっていくものです。

おそらく自分のアイデンティティ確立が低いと、「人は人、自分は自分」と心底考えることはできません。かつての私もそうであったように。
だからこそ、仕事でも趣味でも何でも良いから、好きなことを見つけ没頭することが大切だろうと思います。それにより、「私は○○が大好きで、毎日○○に取り組んでいます。」という確固たるアイデンティティが確立されますから。

参考:
ロールモデル思考法で自分の”好き”を見つける
「嫌いを貫く」や「ふわふわ生きる」よりはマシだろう

ついでに言えば、家族や恋人、よほど仲の良い友人でない限り、人は人のことをそれほど気にはかけません。見ず知らずの他人の死よりも、飼っているペットの死のほうをはるかに悲しく感じる。人間ってそういう生き物です。
この点を考えても、人の目を気にしすぎるのは、自分を窮屈にさせるだけだから得策ではない、と私は思いますね。

あ、でも仕事上での取引先とかお客様の目は、めちゃくちゃ気にしなければならない、というのを付け加えておきます。

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